佐賀市大和町尼寺 森永シゲさん(年齢不詳)

むかーし、

二番お母(か)さんがおいなって、本当(ほん)に継子をいじめよんさったもようじゃなた。

そうしとったぎ、お父さんが京都さい行くごとなったけんなた、

「お土産に、何が良かか?」て言いんさったてっじゃん、娘と息子になた。

そいぎなた、娘はなた、

「あたしゃぁ(私は)、鏡」て。

息子はなた、

「笛ばこ(買)うてきてくんしゃい」ちゅうて頼んだて。

そいぎ、お父さんの京都に行きんさったぎね、

もう、二番お母さんの、継子が憎うしてたまらんもんじゃぃなた、

もう、どがんないどんして殺そうて思うて、

丁度、釜に、こう太(ふと)ぉか釜に、湯ば沸(わ)けぇてなた、

そいて、釜の上に橋ば渡して、

「ここに乗っぎね、京都のお父さんの見るっよ」ちゅうてなた、

継子に言いなったて。

そいぎ、まーだ子供じゃもんじゃいなた、

そこに乗ったらお父さんが見ゆっと思うて、

二人で乗ったぎ、押し折れて、釜ん中に入(ひゃぁ)ってしもうたて。

そいぎ、二番お母さんの、蓋しとんさったら、

隣の叔母さんの来てなた、「

何炊きよっかんた」ちゅうて言いんさったてっじゃん。

そいぎ、昔はよう(よく)味噌豆を炊きよったもんじゃけんなた、

「なぁい、味噌豆炊きよっばんた」ちゅうて言うたら、

「あら、そんない、ちょっとばっかい、

味見(あんべぇ)さしてくれんかんた」て言いなんもんじゃい、

「いんにゃぁ(いいや)、まぁだ煮えとらんけん」ちゅうてなた、

帰しんさったもようじゃなた。

そがんこともあったけんなた、

昔は、味噌豆ば炊きよったら、近所に配らんばて言いよったなた。

お茶講(ちゃごう)(ちゃごう)ちゅうてなた、配いよったよ。

そいてから、二番お母さんな、その釜の側(わき)ぃ、

竹ばなた、二本植えといなったてなた。

そいぎ、そいが、ほんに太うなったぎ、虚無僧さんの来てね、

その竹ば所望しんさったもようじゃなた。

そいて、その虚無僧さんはなた、そいで尺八ば作んさってなた、

ずぅっと諸国ば廻ってそうつきんよんさったぎなた【歩き回っていたら】、

丁度、京都のお父さんの泊まっとんさっ所(とこ)りぇ来てね、

門付けして、そうして、そん尺八ば吹きんさったぎ、

「京の鏡も、いぃやいや。京の笛も、いぃやいや」ちゅうてなた、

尺八が鳴ってっじゃん。

継子と尺八

継子と尺八

そいぎ、

「おかしかねぇ」て思うて、お父さんの慌(うろた)えて、

家さい帰んさって、そいて、二番お母さんに、

「子供はどこか」ちゅうたぎ、二番お母さんのビックイして、

「子供は、隣ぃ遊びぃ行っとっよぅ」ちゅうて言いんさったて。

そいぎなた、

「そんない、呼んできてくれんかね」て、

お父さんな、ちゃんと知っとんさっばってんなた、

そがん言いんさったて。

そいぎなた、二番お母さんの男の子と女の子ば呼んできんさったけん、

その鏡と硯となた、やんさったぎ、

「もう、帰ろう」ちゅうてなた、じき【すぐ】子供は帰ってしもうたて。

そいけん、全部分かんさって、二番お母さんな、捕まんさったて。

そいばっきゃ【それでおしまい】

(出典 大和町の民話 P6)

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