佐賀市大和町有木 西川 辰次さん(明41生)
下田の川向こうの、八田原の下の方に、
鎧岩ち言う岩があったんた。
鎮西八郎為朝が川上に来た時、
そこから、川のこっち側の国道の上の方に、
昔は、一間半ぐらいの高さの石の出とったたんた。
そいを、弓の練習の的にしよったと。
マトイ石にしよったと言うことですね。
その時ですね、その矢が、そろけて【はずれて】、
国道の向こうにある、昔の殿様時代に通いよった本道に、
皇后石ち言う石があっですもんね。
その側を六部さんが通いよらしたら、
その六部さんにウチ当たってですね、
六部さんが、そけで【そこで】死なしたて。
その皇后石ちゅうとは、今でも丸山の北の方の山の付け根んとこにあっ。
そいから、マトイ石は、国道が出来(でく)っ時、崩して無くなってしもうとっですよ。
(出典 新佐賀市の民話 P22)