佐賀市三瀬村中村 ゆずりは 与作(明33生)

 神功皇后が三韓征伐に行かれた時、

ここら辺をお通りになって、

【今は北山ダムになっています】

そこにあった田んぼの真ん中に大きな石がありました。

その石の上に神功皇后がお立ちになり、四方の景色をご覧になって、

「このあたりの山は海の波のようにしとる、波の打ちよごたっ」と言われたので、

ここら辺は、「のなみの里」て言うようになりました。

そうして、お宮を建てて神功皇后を祀ったところが野波神社だそうです。

その神社には、ご神体として、

潮満珠(しおみつだま)、潮干珠(しおひだるま)と

言う石を祀ってあるそうです。

それは、満珠(まんじゅ)、干珠(かんじゅ)の玉と言い、

神功皇后が三韓征伐に行った時、

嵐にあったので、その玉をお出しになったところ、

潮がザーっと引いて行ったと言うことでした。

それから、お手をお洗いになったところがあり、、

「手洗いの淵」と言います。

(出典 新佐賀市の民話 P9)

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