佐賀市高木瀬町 徳島七郎さん(明39生)

 高木瀬に、

「木起こしの地蔵さん」ちゅうて、あっですもんね。

昔は、お祭りの時は、子供達が家ば、そうちいて【家々を回って】、

お米でん、お金でんもらって、そいから、晩になると、

「ギオン」ちゅうて、豆焚いて、そのお地蔵さんの前で待っとっぎ、

お詣りのだいぶ、あいよった【やってた】。

今は、平尾の天満宮さんに移しとんさっばってん、

その当時は、

「木起こしの地蔵さん」ちゅうて、ちょっと名の通っとって、

お地蔵さんの目ば触(さす)っぎ、

目の本当(ほん)に良うなるて言いよった。

そのお地蔵さんを置いてあった屋敷は、

神野の東の方にあったそうですたいね。

そこは、昔、大和町に国分寺てありましたそうですが、

そこさい、行く参道になっとったそうです。

そこに、二の門じゃい、三の門じゃいがあって、

そこん側に、その地蔵さんば祀っちゃつったらしかです。

その「木起こしの地蔵さん」ちゅうとは、

昔、恐ろしゅう酷か大嵐の吹いたてっちゅうたんた。

そりゃ、明治の初め頃じゃあなかろうか。

そいぎ、その風で、うう【とても】太か楠の木の倒れたちゅうわけ。

そいぎ、その楠を除(の)くっちゅうたっちゃあ、

余(あんま)い大きかけん、除ききらんけんね、

「どがんすっきゃあ」ちゅうて、

部落で詮議しよったらしかたんたぁ。

そうしたぎ、晩にさい、

「ヨイサ、ヨイサ」て、声のすってっじゃんなたぁ。

そうぎけん【そうしたら】、次の日の朝、夜の明けたぎたんたぁ、

「昨夜(ようべ)、あぎゃん【あのように】声のしよったぁ、ないやろか。

あっこの地蔵さんの辺(にきぃ)、声のしよったじゃあ」ちゅうて

見に行ったら、その楠の木の起きてしもうとったてんたんぁ。

そいで、「木起こしの地蔵さん」て言うようになったらしかたんたぁ。

(出典 新佐賀市の民話 P29)

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