佐賀市川副町﨑ヶ江 吉武 豊さん(明39生)
熊吉と言う名前の子供が、
親から、
「使いに行って来い。こう行たて、そう行け。あの角から右に曲がれ」ち言うてなた、
教えられたてっちゃんが【けれども】、右は曲がらじ逆の方向さい曲がって、
親の言うことは、もうひとつも守らんて。
言うこと聞かんて。
そういう風にして、親の反対ばかいすっけん、親父さんもなかなか困っとらす訳たなたぁ【困っていたそうです】。
そいぎ、いよいよ、その親父さんが死ぬ時になったぎ、
こいは、俺(おい)が強かうちは、俺が言うことは、ただ一度も聞いたことなかけんが、
こういう親不孝もんじゃっけん、俺が死んだ時ぁ、
反対言うたこんな、山に埋めてくるっに違いなか、て思うてなた、
「海岸に、海端(うみべた)に埋めろ」ち、親父さんが言わして、死なしたて。
そいぎ、その親不孝者(もん)の息子が、
親父さんが死なした時ないとん言うこと聞かじゃあ、と思うて、
その親父さんの遺言どおり、海端(うみべちゃあ)埋めたち言うわけたなたぁ。
そいぎ、海端に埋むっぎにゃあ、潮の満ち干きすんもんじゃっけん、
潮の満ちて来(く)っぎぃ、墓が海ん中(なきゃあ)、沈うでしまうて。
そいけん、潮の満っ時にゃあ、必ず海から渡ってくる渡り鳥がおっ。
チョウヒン鳥ち言う鳥が、「チョウヒン、チョウヒン」ちゅうて、
必ず満ち潮の時にゃあ飛んで来(く)るもんなたぁ。
そがん言うて、親の言うこと聞かじぃ、
死んで初めて親の言うこと聞いたぎんとは【聞いたところ】、逆の結果になったち。
そいけん、親の言うことば聞かじぃ、反対ばっかい、すっ者に対して、
チョウヒン鳥ち、そがん言うたんた。
(出典 新佐賀市の民話 P41)