佐賀市久保田町横江 陣内 ツネさん(明44生)

 むかぁーし、あるところに娘さんが一人いました。

そうしたら、そこのお母さんが死んでしまい、

その後に二番お母さんが、ちょうど同じくらいの歳年代の娘さんを連れて来られました。

そして、その二番お母さんは自分の子ばかり可愛いがられて、元の子は憎んでいました。

ある日、その継子が川で一生懸命、鍋や釜を洗っていました。

そうしたら、そこをお殿さんが通られました。

すると、

「そこの娘は本当(ほん)に器量は良かばってんが【良いけど】、

背丈(ほど)の小(こ)ーまかねぇ【背丈が低いね】。」と言われました。

そして、その娘が、ちょっとして、

「奥山の椿をご覧じよ、背ぇは細けれど花は咲きそろう」と歌を詠われました。

お殿さんは、「この娘は本当に珍しか。」と言われ、

その娘は、お殿さんから、

「いついつかの日には、あなたば【嫁に】貰いに来(く)っけんが」と言われたそうです。

それで、家へ帰って二番お母さんにその事を言ったら、とても喜ばれました。

そうしているうち、その日になり、お殿さんが貰いに来られました。

すると、二番お母さんは自分の本当の娘に綺麗な着物を着せて、

座布団の上に座らせ、お殿さんに差し出しました。

お殿さんは、「この娘じゃなか、俺が見たとは違う。」と言われたけれども、

「いいえ、この娘です」と二番お母さんが言うから、

お殿さんは「そいないば」と言い、皿の上に塩を撒き、その上に松の木を植えて、

「これで歌ば、歌え」と言われました。

その娘は「皿の上に塩、塩の上に松」と、それだけしか歌えませんでした。

お殿さんは、「そいけん、やっぱい、この娘じゃなか」と言われていたら、

「皿々と皿々山に雪降りて、雪を根として育つ松かな」と言う声が、

押し入れの中から聞こえて来たそうです。

すると、お殿さんは、「その娘じゃ」と言って、

押し入れの中のいた娘に着物を着替えさせました。

それで、表に出ようとした時、二番お母さんが箒(ほうき)で継子の娘を叩きました。

継子は、

「母様が箒でくらす【叩く】は憎けれど、伯耆(ほうき)の国を取るは嬉しや」と歌って嫁に貰われて行かれました。

そんな話をお婆ちゃんから聞いたことがあります。

そいでばっきゃ【それでおしまい】。

 

(出典 新佐賀市の民話 P55)

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語り 佐賀市議会議員 山下明子さん