佐賀市長瀬町 納富信子さん(大14生)

 女の人がお嫁にいく時はですね、何でも上手にできたらね、泣くことはないていうわけですよ。

むかーし。

お姑さんの、すごーく意地悪なお姑さんのおんさったって。

そいでも、お嫁さんが何でもできるから、お姑さんは、お嫁さんばいじめてやろうて思うけど、

いつもでけんもんじゃいギリギリして、はがいいのね。お裁縫させても、お花いけさせても、

何でも自分より上手なもんだから。

そしたらね、ある日、お姑さんが、

「お前は、歌も上手てやろが。歌ばつくってみござい」て、言いんさっわけですよ。

そいぎぃ、お嫁さんの、

「はい、お母さん。歌つくりますけど、お題をいただきましょうか」て。

そいぎぃ、お姑さんの、しばらく考えてから、「木の砥石」て、いう題ば出しんさっわけ。

そいぎぃ、

木の砥石猫が爪研ぐもんばしら

て、詠(うた)いんさったて。

そいぎもう、お姑さんな、悔しゅうて悔しゅうてたまらんて。お嫁さんが、

「そがんとは、できません」て、言うだろうて思うて出した問題が、簡単にサラサラって、

できたもんだから。

そいぎぃ、今度(こんだ)あ、何て言おうかて、て考えて、庭んにき(辺)ば眺めよんさったぎぃ、

石灯籠が目についたもんじゃい、

「石の三味線(しゃみ)ちゅうとでつくんさい」て、言いんさったて。

そいぎぃ、

「石の三味線ですか」ち言(ゅ)て、

石の三味線蔦楓(つたかえで)のいとかけて

秋風吹けば葉は散りつてん

て、詠みんさったて。

そいぎもう、お姑さんにすっぎぃ、じだんだ踏んでもかなわんもんじゃい、今度(こんだ)あ、

「近所の人たちは、『鬼婆あ。鬼婆あ』て、私(あたし)ば言いよっらしいけど、

あんたもそがん思うとっでしょう」て、言いんさっわけですよ。

そいぎぃ、

「いいぇ。お母さんの仏さんのような心は、私がいちばんゆう(よく)知っとります」て。

そいで、

「仏にもまされる心と知らずして、鬼婆などとは人の言ふらん」て、詠みんさったて。

「よそさんで、お母さんのことを『鬼婆。鬼婆』て、言いよんさっ人のあっか知らんけど、

お母さんの仏さんのような心は、私が、いちばんよう知っとります」て。

そいぎもう、いくら意地悪なお姑さんでん、何も言いきらんやったて。

そいだから、お稽古をして何でも上手にできるようにしていくぎぃ、

嫁さんにいって、泣くことなかて。

そいぎぃ、ばあっきゃ。

(出典 さが昔話 P98)

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