小城市牛津町両新村 早木松雄さん(明45生)
長勝寺というお寺のある所は、空山と言います。
その空山に、昔、30町歩の田を持っていた人がおられたそうです。
そこには、作男が20人程もいて、米も一番とれて、
この辺で一番の大地主だったそうです。
ある時、その家の長男が嫁さんをとられたそうですが、
婚礼の時に、道が悪いものだから、門先(かどさき)【家の玄関先】に、
踏み石かわりに、ズーッと米俵を敷いて、その上を通らせたそうです。
そうしたら、祝儀が終わってしばらくしたら、その家はつぶれてしまったそうです。
その時、その家の人が、どこかに小判を埋めて、そうして、空山にある観音さんのご神体に、
「朝日さす夕陽かがやく松の下、小判千両」と書かれたそうです。
ところが、どこに朝日がさして、どこに夕陽がさす場所か、わからん。
それで、
「米は大事にせんば、踏んだくったいなんかすっぎ【踏んだりしたりすると】、いかんぞ」
と、親から言われていました。
(出典 牛津の民話 P91)