小城市三日月町島溝 南里シマさん(明35生)

 むかぁし、あるところに、

娘と息子が二番母(かか)さんとお父さんと暮らしていたそうです。

ある時、お父さんが京都に出かけることになったそうです。

出かける前に、お父さんが娘に

「お前(まりゃあ)、何が良かかい?」と聞いたら、

「京の鏡が良か。」

息子に聞いたら、

「京の硯が良か。」と言ったそうです。

そうして、お父さんが出かけたので、

二番母(かか)さんが、娘と息子に、

「水ば網で汲んで、風呂に入れろ」と言われたそうです。

そうは言われたけれど、網なので、いくら汲んでも溜まらないそうです。

そうしたら、そこに紙屋さんが通りかかって、

紙の破れないものを貼ってくれたそうです。

それで、二番母(かか)さんが、今度は、

「石で風呂ば焚け」と言われたそうです。

やっぱり、石では燃えないので困っていたら、

石油売りさんの通られたそうです。

そうして、石に石油をかけてもらって、

石が燃えたので、風呂の湯が沸いたそうです。

そうしたら、お湯が沸いたので、

また、二番母(かか)さんが、風呂釜に上に木で橋を架けて、

「ここに乗ってみると、お父さんの帰って来(き)んさっとの見るっけん、

これに乗ってみろ」と言われたそうです。

そうしたら、小さな竹の橋なので、乗ったら折れてしまって、

二人とも、お湯がブクブク沸いているところに落ちてしまったそうです。

そうしたら、近所の人の

「何(ない)炊きよかんたぁ、ボイうたせて【沸騰させて】」

と言うて来られたそうです。それで、

「味噌豆炊きよっ」と二番母(かか)さんが言いなったら、

「味噌豆炊きよんない【炊いているなら】、

あんびゃあさせんかんたぁ【味見させてくれんね】」と言うたら、

「いんにゃあ【いいや】、まーだ煮えとらん」と

「いんにゃあ、その煮えとらんとが美味かもんねぇ」と言われたけれども、

食べさせようとしないので、その人は帰っていったそうです。

釜の蓋(ふた)を開けていたら、継子が浮かんでいたのを

見つけることができたのに、その時、帰ったので、

「味噌豆は七里戻ってでん、食うていかんばらん」と言うそうです。

味噌豆と言って、騙していることがあるからと言うことです。

それから、二番母(かか)さんが、

娘と息子を家のどこかに埋めたそうです。

そうしたら、そこから、雄竹と女竹が出てきて、

それが、すぐに大きくなったそうです。

そうしたら、虚無僧さんが、それを見て、

「その竹ば、是非くれ」て言われたそうです。

それで、

「いんにゃあ、こりゃあ売られん」と言って、

「そがん言わじぃ、売ってくんしゃい」と何度も言われたので、

仕方なく売りました。

その虚無僧さんは、その竹で尺八を作られました。

そうして、どこに行って吹いても、

「父さん恋しや、チンチロリン。母さんうらめし、チンチロリン。

京の硯はもういらん、京の鏡はもういらん」と鳴るそうです。

その音色ばかり鳴るそうです。

それを聞いて、お父さんが帰って来られました。

それで、二番母(かか)さんは、隣に子供がいたので、

その子供を二人借りて来て、お父さんが買ってきたみやげをやるそうです。

自分の子供が分からなかったのは、

お父さんも長い間、京都に行っていたからでしょうかね。

そうしたら、

「あら、叔父(おんじ)さん、ありがとう」と言って、

お土産をもらうと、二人とも走って自分の家に帰ったそうです。

それで、二番母(かか)さんが、子供を殺したのが分かったそうです。

そいばぁっきゃ【それでおしまい】

(出典 三日月の民話 P87~88)

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