小城市小城町米ノ隈 草野コトさん(明28生)

 むかし、むかし。

あるところに、お父さんと、お母さんと

二人の継子(ままこ)が住んでいた。

ある日、お父さんは京詣りに行くことになった。

二人の継子に、

「おまえには京の硯(すずり)を買うて来る。

おまえには京の鏡を買うて来る。おとなしく留守番をしとけよ」

と言って、お父さんは出かけて行った。

継母はお父さんの留守中に、

二人の継子を亡き者にしてやろうと思って、

大釜に湯をわかしていた。その大釜に棒を渡して、継母は、

「この棒を渡ると、お父さんに会われるから、渡ってみろ」と、

三人の継子に言った。

三人の継子は、お父さんに会いたかったので、

継母から言われたとおり、棒を渡りはじめた。

継母は二人の継子を突き落し、大釜の中に湯で殺してしまったと。

継母は大釜の蓋をして焚き続けた。

そこへ隣りのおばあさんがやって来て、

「何焚きょっ」とたずねた。

すると、継母は何でもなかったようなふりをして、

「こりゃあ、味噌豆を焚きょっ」と、おばあさんに言った。

すると、おばあさんは、

「そんない味噌豆一粒、あんびゃあ【味見】させてみんかい」

と言って、大釜の蓋を開けてみたら、もう二人の子供は煮えてしまっていた。

ある日、お父さんが京詣りから帰って来た。

そして、いっぷくしていると、そこへ一匹の小鳥が飛んできて、

お父さん恋しや チンチロリン
京の硯はなんになろう

と鳴いた。

また、もう一匹の小鳥が飛んできて、こんどは、

お父さん恋しや チンチロリン
京の鏡はなんになろう

と鳴いた。

お父さんは思い当ることだと思いながら、

「子供はどこにいるか」

と、継母に聞いた。継母は、はじめのうちは、なんだかんだとごまかしていた。

しかし、とう、うそをとおすことができなくて、

「湯で殺した」と言った。

お父さんは余りの悲しさと腹立ちのために、継母を追い出してしまったとさ。

そいまあっきゃ。

(出典 佐賀の民話第一集 P129)

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