三養基郡上峰町(旧上峰村)切通 鶴田勝次さん(年齢不詳)
むかし、むかし。
あるところのお母さんが、赤ん坊を連れて桑の葉を摘みに行った。
お母さんは、赤ん坊を籠(かご)の中に寝かせて、
せっせと桑の葉を摘んでいた。
すると、どこからともなく鷲(わし)が飛んで来て、赤ん坊をさらって行った。
お母さんは、悲しみの余り巡礼になって諸国を探し回ったが、見つからなかった。
いつの間にか、二十数年の歳月が流れ去っていた。
お母さんは、子探しに疲れ果てていた。
そうした折り、お母さんは渡し場から舟に乗った。
その舟の中で、ある人が、
「鷲が赤ん坊をさらって来て、どこかのお寺の大木に引っかけとった。
その赤ん坊は、今じゃ、偉い坊さんになっとるばい【なっているよ】」と、
話をしているのが、お母さんの耳に入った。
お母さんは、そのお坊さんは自分の子供ではないかと思って、
探して探して、そのお寺に行った。
そして、お母さんは、やっとのことでお説教を聞く身になられた。
偉い坊さんのお説教が始まった。
その説教の中に、
「自分は、赤ん坊の時、母が桑の葉を摘みに連れて行きました。
その時、鷲にさらわれ、お寺の大木に引っかかっていました。
母が、この世におられるなら、一目でも良いから会いたいものです」と語られた。
お母さんは、自分の子供に間違いないと思った。
しかし、着物は破れ、その上やせ衰え、どうしても、
「自分の子供だ」と名乗ることは出来なかった。
そのことをお母さんは、他の僧侶の方に訴えられた。
お母さんは、僧侶の紹介で自分の子供と面会が出来た。
お母さんは、鷲がさらっていく時、片裾【かたすそ】を破りとっていたので、
「こいが印」と言った。
その坊さんも、鷲から落とされた時の破れ着物を持っていた。
それが証拠となって、親子の対面が出来たと言うことげな。
(出典 佐賀の民話第二集 P37)