田中 平子ツルさん(明38生)
 自分の子は、やっぱい可愛いかばってん、
継子という者に、同じ着物ば着せよって言うても、そこに違うもんねぇ。
 そいぎぃ、その人が、どうしてもお父さんが京に上(のぼ)っとったらしか。
そいぎもう、
「お父さん。お父さん」て、お父さんの後(あと)姿見て泣いたもんじゃい、
もう憎めしか、いつまっでん泣くということで、味噌豆ば煮おって、その、
(味噌豆煮おっち言(ゆ)うたこっちゃい、味噌豆ん中に入れたか、そこんにきは良う知らんけど。)
そいで、人の来るぎにゃあは、
「味噌豆煮おっ」ち言うて、隠し。
 ところが、後からお客さんの来なっとにゃ、味噌ば搗く豆ば煮おっ時、人が来たら必ず、
「この味噌豆食べて行たて下さい」て。
 そう由来(いわれ)があるけん。もう味噌豆煮おっ時ゃ、お客さんが見えたら必ず出す習慣。
 味噌豆煮おっ時ゃ、七里立ち返ってでん食べて行けちゅうこと。
 茹で殺して裏の竹山ん所(とこ)に埋けたもんねぇ。
そいぎぃ、そこから竹の生えて、その竹が目障りになって、
通りかかった虚無僧さんが、その竹を切って尺八を作って吹いたところが、
「継母憎めしチンチロリン」て、尺八が鳴ったとかで。
そいが、商いに行っているお父さんの耳に入ったちゅうこと。
(出典 三根の民話 P52)

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