神埼市千代田町境野仲田町団地 内川八郎さん(明42生)

 むかぁし、弘法大師が、

修行して各地を歩いてまわっていたそうです。

 そうして、この城島の渡しに来た時に、日が暮れてしもうそうです。

 それで、そこにいた渡し守に、

「この川を渡してくれんか」と頼みなったそうです。

 そうしたら、その渡し守は、

こぎゃん【このように】みずぼらしかごたっお坊さんの、

銭なんか持っといなかろう。

どうせ渡したこっちゃぁ、銭はもらわれんやろう、と思って、

「渡さん」と断られたそうです。

 それでも、

「日は暮れとっし、泊まっ所もなかとこりぇ、渡してくれんやろか」

と言って、何度も頼みなっても、やっぱり渡してくれんそうです。

 そうしたら、近くにいた漁師さんが、それを見かねて、

「そいないば、渡してやろう。この船に乗んさい」

と言って、自分の船に乗せたそうです。

 そうしたら、川の途中で、

「あんたが、一生食うに難儀せんごと、ちゃんとしてやっ」

と言って、葦の葉をちぎってですね、川に流したそうです。

 そうしたら、その葦の葉が魚になって、ペラペラ泳いでいったそうです。

 それが、今いる「えつ」の魚だそうです。

 筑後川のあの辺だけしかおらんそうです。

 その時の漁師さんが、「六五郎」と付いていたので、

橋を架けた時、「六五郎橋」と付けたそうです。

 (出典 千代田の民話 P35

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