神埼市脊振町(旧脊振村)広瀧 広滝クマさん(年齢不詳)

 むかし、むかし。

あるところに、おたけという娘がいました。

ある日、おとうさんは後妻をもらい、そして、一人の女の子が産まれました。

その子におはなと言う名を付けました。

おかあさんは、おはなさんばかりかわいがって、

いつもきれいな着物をきせていました。

おたけさんには、みすぼらしい着物をきせて、

身もやつれ、働かせるばかりでした。

ところがある日、伯耆国(ほうきのくに)から嫁をもらうために

殿さまが家来を連れてそこへやって来ました。

おかあさんは、きっと自分の娘をいつもきれいにさせているから、

嫁に欲しがっていらっしゃるだろうと思い、

殿さまにおもてなしをしました。

殿さまは、皿の上に一つかみの塩をおき、松の枝を立て、

「この今の模様を歌で詠みんさい」と、二人の娘に言われた。

「おまえから詠め」と、おかあさんは、おはなさんに言った。 

皿の中に松を植えて松の際(きわ)に塩を置いて 

と、おはなさんは歌を詠んだ。

すると、今度はおたけさんは、 

皿竹山に雪降りて雪を根としたる松かな 

と詠んだ。

殿さまは大変おたけさんの歌を気にいられました。

また殿さまは、そこの家の裏に竹籔(たけやぶ)があったので、

「裏の竹籔の景色を詠みんさい」

と、言われた。

「そんな裏の竹籔の歌なんてぇ知らん」

と、おはなさんは言いましたが、おたけさんは、 

皿竹さらさらと皿竹山に雪降りて花弁の袖に降り積む 

と詠みました。

殿さまは、ますます気にいられて、

「また、前の山の景色を見て、もう一つ歌を詠みんさい」

と、言われた。

「前の山の歌なんか自分は作いきらん」と、

おはなさんは言いましたが、おたけさんは、 

何こう山何こう山につつじ椿は ご覧ぜよ背細けれど花は咲くかな 

と詠んだ。

殿さまは、この上もなく気にいられて、

「もう、どんなに身はやつれとっても、どんなボロ着物をきとっても、

駕籠(かご)に乗せてこのおたけさんを嫁にもらって行くと言われて、

伯耆国(ほうきのくに)のお駕籠(かご)におたけさんを乗せられた。

おかあさんは自分の娘を嫁にもらわれなかったので腹を立て、

お駕籠が出るときに、パンパンと箒(ほうき)で掃き出した。すると、 

にくいにくいと掃き出し 伯耆国へ行くはうれしや 

と、おたけさんは詠んで、お駕龍で行かれた。

おたけさんは身はやつれても、歌詠みがよく出来たので、殿さまの嫁になられた。 

そいばあっきゃあ【それでおしまい】。 

(出典 未出版)

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