神埼市神埼町大門 八谷勘三さん(24)

 あの、そこの三千石がなたあ、

あつこはやっぱい、人柱の立つとっばい。

城原の三千石ちゅう所のあっじゃん。

あつこ、しょちゃあ〔以前〕井手ち言(ゆ)うて井手はなかったとじゃんなた。

ちょっとした井手やったろう。

そいしたいば、ただむねあげんして〔ひたすらあんなにして

あつこの太う、佐賀・白石原からあつこん辺(にき)までこう。

三千石て。

(白石原のあつけぇも千石て、書(き)ゃあてあろう)そいで、ただむね太うにゃあて。

そいばあがんすっ時が、佐賀藩と蓮池が。

蓮池がもう、大抵、下(しも)じゃろうが。

で、佐賀は、佐賀藩と蓮池藩じゃんもんじゃい、

ちょっと、ただの物とあげんとのごと、違(ちご)うたもようたんたあ。

そうしたぎとは、そいが、土木がその、言うばってん、それがもう、

「こん畜生(ちきしょう)」ち言うて、もう無駄にすんみゃあがあ。

そうしたぎぃ、その、そいが、もうあがり、残念けんなた、腹切ったちゅう話たんたあ。

〔大成 本格新四六 長良の人柱〕 

(出典 吉野ケ里の民話 P120)

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