神埼市神埼町大門 八谷勘三さん(明24生)
あの、そこの三千石がなたあ、
あつこはやっぱい、人柱の立つとっばい。
城原の三千石ちゅう所のあっじゃん。
あつこ、しょちゃあ〔以前〕井手ち言(ゆ)うて井手はなかったとじゃんなた。
ちょっとした井手やったろう。
そいしたいば、ただむねあげんして〔ひたすらあんなにして〕、
あつこの太う、佐賀・白石原からあつこん辺(にき)までこう。
三千石て。
(白石原のあつけぇも千石て、書(き)ゃあてあろう)そいで、ただむね太うにゃあて。
そいばあがんすっ時が、佐賀藩と蓮池が。
蓮池がもう、大抵、下(しも)じゃろうが。
で、佐賀は、佐賀藩と蓮池藩じゃんもんじゃい、
ちょっと、ただの物とあげんとのごと、違(ちご)うたもようたんたあ。
そうしたぎとは、そいが、土木がその、言うばってん、それがもう、
「こん畜生(ちきしょう)」ち言うて、もう無駄にすんみゃあがあ。
そうしたぎぃ、その、そいが、もうあがり、残念けんなた、腹切ったちゅう話たんたあ。
〔大成 本格新四六 長良の人柱〕
(出典 吉野ケ里の民話 P120)