神埼市神埼町利田 納富ミヨさん(明22生)
あの、子供連れてね、あの子供の小さかったけんね、連れて行って桑の葉取いよんさっ
た〔取られていた〕でしょ。そしたらね、子供が泣いたけん見てみたらね、
鷹(たか)がくわえて連れて行きよったてね。そいぎい、自分が尋ねて歩(さる)きんさった
ばってんね〔けれどね〕、もうほんに〔本当に〕、わからんもんじゃいね、
何年でんかかって捜しよんさったて〔捜されてたと〕。そしたぎね、もう、捜しよんさつたいばね、お寺にね、今、たくさん詣よんさったけんね〔詣られていたからね〕、その、
もう乞食になって歩きよんさったてっちやんね、お母(か)さんが。そしたら、
お寺に詣りしたかばってんが、人並みしとらんけんね〔(に)してないからね〕、もう、
「恥ずかしかけん」ちて、お御堂の下にかごんで、聞きよんさったて。そしたぎぃ、
お説教の始まったぎい〔ら〕、聞きよんさつたぎい、「よか坊さん」ちて、皆ね。
「よか話」ちて、言いよんさったけん、聞きよんさったぎい、
「ぎゃんして〔このようにして〕、私(あたし)や、もう小さか時から、ぎゃん〔こう〕して
鷹から攫(さら)われてきたち言(ゆ)う話て。
そいけん〔それだから〕、お母(か)さんのね、お守り袋ば、着物(きもん)にね、
縫い付けとんさったて〔付けられていたと〕。そいけんそいは(お守り袋は)、今まで持っとっ」ちて、
言(ゆ)うて話しよんさったて。そいぎい、そいばね〔その話を〕、
ようして〔じっと〕聞きよんさったて。そいぎにゃあ〔そしたらね〕、大概、
年頃からほんに似とっけん〔似ているから〕と思うてね、聞きよんさったけん、
後で、「まあ、聞かれんばってん、どぎゃんふうじゃろか〔どのような感じだろうか〕」ちて、
お母さんのね、「私(あたい)が、こんな風貌(ざま)して、ほんに聞かれんばってんが、
聞かせてくんさい〔ください〕」ちて、めっちゃ言んさったて「しきりに言われたと」。
そしたら、着物の布(きれ)もね、そん時、着とった着物の布を持っとんさったて、少し。
そして、お守りさんと持っとんさったぎね。聞いたぎい、
拾(ひり)ゃあんさった〔(子供を)拾われた〕人がね、、「鷹(たか)が、あの、巣作ってね、
木の上に巣作ってね、そけぇ〔そこへ〕連れて来とった」て。
「そしたら、もう子供の泣き声のすんもんじゃね〔がするからね〕、あぎゃんと〔あのように〕
猟師の上手な人(しっ)たんを頼んでね、『あすこに子供の泣きよっけんが、鷹のおっけん、
鷹いっちょ死んごとして、子供に当たらんごとして、鉄砲で撃ってくれんですか〔くれませんか〕』ちて、頼んだ」て。そしたらね、「『してやろう』ちて言うて、撃ってくんさった。
そしたら、やっぱり、すぐ鷹の落ちてきてね、子供だけ残ったね。そいぎい、その子供ば、
あぎゃんとして、拾うて、養(おお)しとった」て。そいぎね、その坊さんがね、
「長(なん)かこと、もう、二十何年なっとこれぇ〔なるのに〕、あんたは、ぎゃん〔こんな〕して捜してくいよったね〔くれていたね〕」ちてね〔と言ってね〕、泣いて喜んでね、
「ほんに、仕舞(しまい)は親じゃらんばでけん〔じゃなければだめだ〕」ち言(ゆ)うてね、泣いて喜んでもう、自分の所(とこ)さい連れて行ってね、ほんに親孝行しんさったちてね〔されたと言ってね〕、お話聞きよったですよ。
〔大成 一四八 鷲の育て児 (AT五五四B*)〕
(出典 吉野ケ里の民話 P70 )