神埼市神埼町尾崎西分 山口秀次郎さん(17)

  むかしその。

お茶摘みぎゃ〔しに〕あち言(ゆ)うが、お茶摘みぎゃあ行く前にゃあ、

子供(を)持ちんさんなかった〔持たれなかった〕もようじゃんなあ。

そいでその、神さんに子供持つごと、ずっと夫婦参いないよったて。

そうしたところが、やっぱいその、妊娠にないなったやろうだいなあ〔なられたんでしょうねぇ〕。

そして、妊娠になって、そいから、その生まれた子供が男じやったて。

そうして、その子供、どうしたっちゃ〔どうしても〕三つ位(ぐり)やあで、

連れてお茶摘みぎゃあ行たといなった〔行っておられた〕て。

そうして、二人(ふちゃあ)お茶ば摘みないよったところが、

その子供は「莚(むしろ)」じゃい〔でも〕敷いて遊ばせてあった。

ところが、今度は鷲(わし)が出てきて、

そーっとその子供ば掴(つこ)うで走ったわけたいなあ〔(飛んでいった)わけですね〕。

そいぎもう、ほんに折角の一人(ひとい)っ子は鷲の来て、引っ掴うで走ったもんじゃいもう、

「アラアラアラ」て、そのお父さんもお母さんも言いなっばってん、

急に引っ掴うで走ったもんじゃいのう。

何処(どこ)さい〔へ〕、尋(たん)にゅうでんなかごと〔尋ねるとこないくらい〕

もう、尋ねて歩(そう)つきないよった〔歩かれておった〕でしよう。

そうしたら、何処(どけ)ぇな〔で〕つとん〔も〕あえてじゃい、

どがんしてじゃいおりゃあすんみゃあかあ〔どうしているんだろうかなあ〕と思うて、

大抵尋ねて歩ついたもようたいなたあ。

とても尋ねあたらんばってん、もう、その日もその日も尋ねて歩(そう)つきよったわけたい。

そうしたところが、お父さんな、どつちしたっちゃ、もう八年じゃいしたいば〔ぐらい経ったら〕、

そのお父さんの死になったて。

そいぎぃ、お母さんがひとりになって、尋ね歩つきないよったて。

そうしたところがもう、どうしても尋ね当たらん。

そいでもう、そのお母さんな禅門になって、ずっと尋ねて歩つきないよったてたいのう。

そうして、尋ねて歩つきよったところが、その、あぎゃんと〔あのようにして〕、

渡し舟でまいちょ〔もうひとつ〕向こうさい渡らんばもんじゃい、舟に乗ったて。

そうして、人に誰でん聞いてみてなたあ。

「ここん辺(にき)、二十年ばっかい前その、鷲(わし)の掴(つこ)うだこたっ話や聞かんかい」ち

言(ゆ)うて、誰でん尋ねて歩つきよったて。

そうしたところが、その、舟の中(なき)ゃあで、

「ああ、そがん〔そんなに〕言えば、あそこのお寺に、ほんに二十何年になろう」ち言うて、

「そげえ〔そこへ〕、お寺に太か杉の立つとって。その杉に鷲の来て、あぎゃんと、

引っ掛けたもようたいのう、子供ば。そして、子供が泣くもんじゃい、そこの和尚さんが出て来て、

そして、こうして見てみたところが、子供ば連れて来(き)とんもんじゃあ〔来ているもんだから〕」

そいぎい、「さあ、落てぇてくいろう」ち言うて、そのない〔そのね〕、和尚さんの広げてない〔ね〕。

そうして、子供ば、その、受けなったて。上から落たてない〔落ちてね〕。そいぎい、

子供もんじゃい、そいば(子供を)、自分も子ば持たじい〔持っていなくて〕、

あぎゃんとしといなったけん〔あんなにしていたから〕、そのこ院主(いつ)さんがその、

立派(じっぱ)に育ててくいないよった〔くれていた〕もようたいなあ。

そうして、ちょっと、頭もよし、ほんにゆう〔本当によく〕出世しなって。

そのお父(とっ)たんもその、生き仏さんて言(ゆ)うごたっ、

あの、ご院主さんじゃったて。

そいぎい、今度(こんだ)あ、また、その子供さんもまた、

ほんに学校でん何(なん)でんようできてなたあ、ほんによかったもようたい、頭が。

そうしたところが、そのお父たん方(がち)ゃあが、

今度のその和尚さんが生き仏さんち言(ゆ)うごたもんじゃいのう〔ようなものだから〕。

そがん〔そんな〕話ば舟の中(なき)ゃあで聞かされたもようじゃん。

そいぎい、そりゃあほんに、まあよか。

家(うち)ん子のそがんなっとっ〔そうなっている〕はずじゃなかと思うばってんが、

こい〔これを〕聞いてみゅうで思うてなあ。

折角渡って、渡って来っ時も銭ば当い前、持ちんなかったけんが、

また立ち返(かや)って貰うて歩(そう)ついて、その、

舟賃(ふねちん)やろうでしなったてっじやんなあ。

そうしたところが、とうとうまた、あっちゃこし〔反対側に〕また立ち返って、

そこさい、〔へ〕そのお寺さい行かれんばってん、と思うてなあ。

禅門の姿(すがち)ゃあしとんもんじゃいなあ。

行かれんごと〔行かれないだろうと〕思うて、行たてみなったところが、立派なお寺て。

そうして、その杉の木は、そのお寺よいた低段に生(お)えとったてちゃんのう。

ほんに太か杉の木が。

そうしたところが、その杉の木にゃ一年にいっぺんずつ、

そのこ院主さんがその、別な和尚さんたちば幾らでん連れて詣(みや)あぎゃあ来なって。

そいぎい、そげぇ〔そこへ〕行たてみたところが、

そん時ゃこの杉ば良(い)いにゃあと思うて、杉の木の周囲(ぐるり)ばグルグル回って、

その、お母さんは見よったもようたいなあ。

ところが、俺(おい)が、そっから、ただ和尚さんが出て来なったて。そして、

「あんた、そけぇ〔そこで〕何(ない)しょっかい〔してるのかい〕」て、

こいが(和尚さんが)言いなったて。

「何(なん)しょっ。私(あたし)ゃ、『この杉の木、二十何年前、鷲(わし)の

掴(つこ)うで来て、子供ば引っ掛けた』ち言(ゆ)う、お話ば私や聞いて来たけんが、

その、ほんにどがんじゃろうかあと思うて、尋(たん)ねて来た」て、言うたもようたいなあ。

そうした ところが、今度はその人は、

「そいないば〔それならば〕、あんたの今日(きゅう)はもう、命日て。

そいけんが、どうでんこうでんこけぇ、詣(みや)あいござって〔お詣りなさって〕。

そん時、詣あいござっけんが、あんた、こけぇ紙に字ば書(き)ゃあて、その杉の木貼ってみんね」て、

こう言いなったてったん。そうしたところが、

「私や字も知らん」て、言うてっちゃん。

そいぎい、

「字も知らん。紙をまず持たん。何でん持たん」て、言うてっちやん。

「うぅーん。そりゃあ紙てん何てんな〔とか何とかは〕用意してやる」て。

「そいばってんが、知らんない私がその時ゃあ、こっそい〔こっそり〕とやろう」ち言(ゆ)うて、

和尚さん書ゃあくいなったて〔書かれてくださったと〕。

そうして、その杉の木に貼い付けてくいなったぎぃ、そうして、一時(いっとき)ばっかいしたぎとは

もう、行列で、どうしてお駕籠(かご)から来なっごとなったて。

そうして、ずーっともう、小僧(こずう)さんたちが幾らでん、つんのうて〔ついて来て〕、

石段々(いしだんだん)ば、ずーっと降りて来なったもんじゃい。

そいぎい、そこでわが見ろうごたばってん〔見たいけれども〕、

見られじその薮(やぼ)ん中(なき)ゃあ隠れといなったて。

そうしたところが、そけぇ来てやっぱい、そがん詣いなったてなあ。

そいから、その杉の木に詣って。

そいから、そいないばここん辺(にき)い、

そのお母さんのおりゃしなんみゃあかと〔おられるんじゃないだろうかと〕思うてなあ、

「尋(たん)ねてのう」ち言〔ゆ〕うて、小憎さんたちに言いなったもようたい。

そいで、その小憎さんたちがそこん辺見回って尋ねたところが、

やっぽい藪ん中ゃあ隠れといなったもようたい。

そうしたぎい、そのお母(か)さんは連れて来たもようたなあ。

そうして、

「こういう話で私ゃ、もう二十何年もこぎゃん〔このように〕やって尋ねて歩(そう)ちいた」て。

「お茶摘みぎゃあ〔しに〕行たて、そん時、鷲(わし)の飛うできて、

それからもう、とうとう尋ねて歩ちいたばってん、

とうとうお爺さんなもう、九年じゃい〔ぐらい〕で死んなった〔死なれた〕」て。

「そいで、私一人(あたしひとい)で尋ねて歩つきよった」て。そうしたぎぃ、

「そんないば〔それならば〕、あんたがその、何かその印ば持っとろう」て、和尚さんが言いなったて。

「『印』ち言(ゆ)うて、別にゃあなか〔別にない」」て。

「『印』ち言うて、別にゃなかばってん〔けれども」、

そのお観音さんの小(こう)まかその、あぎゃんとば(お観音さまを)持って、

そいば、その着物(きもん)の中ゃあ、その何処(どけ)ぇじゃい〔何処かに〕、

襟(えり)んとこじやい縫い込うどっ〔込んでいる〕」て。

「そいと〔それと〕その、布(きれ)が、この布じゃった」て言うて、

袋から布ば出(じ)ゃあて見せなったもようたい。

そいぎい(布が)、そいがこう自分の、その着とった着物(きもん)ば、

その和尚さんもずーっと、わが鷲(わし)から掴まれた時の着物ばやっぱい大切して

とっといなった〔しまっておかれた〕もようたいなあ。

そいと(お観音さまと)合わせて見なったぎにゃあとが〔見られたらね〕、

いっちょでん〔ひとつも〕変らんもんじゃい〔ものだから〕、

こいこそ、ほんな〔本当の〕お母さんと思ぅてなあ。そいで、

「そん時やあ、お前はほんな、私(あたい)ば生んでくいたお母さん」て。

「そいでその、お前は、こっち早(はょ)う来てくいござい〔ください〕」て。

「私ゃ、そがん〔そのような〕草鮭履(わらじひ)ゃあて」

そして、歩(そう)つきないよっただろうだんたあ、草鮭は置(え)えて、そして、乳母車に乗せて。

乗らんて、ほんに言いなっじゃんのう。

そいばってんが〔それだけれど〕、「乗ってくいござい」ち言(ゆ)うて、乗せてなあ。

そうして、入れて行たて、お寺に連れて行たて。

そして、お寺で風呂入れて、そうしてお母さんが偉い者にないなった〔なられた〕

ち言(ゆ)う話たいなあ。

立派な(じっぱ)婆さんに。 

〔大成 一四八 鷲の育て児 (AT五五四B*)

(出典 吉野ケ里の民話 P64 )

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