唐津市木綿町 宮崎利一さん(年齢不詳)

 勘右衛門は、いつも人を騙してばかりいるから、

ひとつ困らせてやろうと言うことになっていました。

それで、貧乏な勘右衛門を大宰府詣りに誘うことにしました。

勘右衛門は、着て行く着物を持ち合わせていなかったので、

「太宰府詣りに行く着物のなかけん、自分で工夫する」と言って、

お稲荷様の所へ行ったそうです。

そして、お稲荷様の旗を取って来て、

それで着物を作ってもらいました。

勘右衛門は旗で作ってもらった着物を着て、

紺屋町の方面へ出かけて行きました。

その着物には、色が染まっていませんでした。

すると、紺屋の前に犬がいました。

勘右衛門は、わざと、その犬の尻尾を踏むと、

吠えかかって来ました。

それで、勘右衛門は紺屋の家に入り込み、

紺屋の釜に入り、

「ああ、いい湯だ」と言ってました。

すると、それを見つけた紺屋の主人は、

「何ば、しよる?」と聞いてきたので、

「いや、今、犬が吠えたんで、ここに入っちょる。いい湯だなぁ」と、

勘右衛門が言うと、

「こや、風呂じゃなかよう。それは紺屋の釜だ。そんなところで暴れてはだめだ」と、

紺屋の主人に叱られました。

勘右衛門は、着物がそろそろ染まったと思った頃、釜から上がりました。

これで太宰府詣りの着物も心配しなくて良くなりました。

翌朝、いよいよ太宰府詣りに出発しました。

勘右衛門はお母さんから弁当を作ってもらいました。

ところが、いつの間にか弁当箱は枕にすり替わっていたのです。

他の人たちは弁当を食べたけど、

勘右衛門のは、すり替わっていたので食べられませんでした。

それで、

「こりゃ、ひだるか【お腹が空いた】」と、勘右衛門は言いながら、

ずうっとあたりを見回すと、梅ヶ枝餅を売っている所を見つけました。

勘右衛門は、そこに、

「この梅ヶ枝餅はいくらか?」と聞くと、

「二文」と店の人が言ったので、

「どれでも二文か?」と、勘右衛門は念を押しました。、

店の人は、

「ああ、どいでも【どれでも】二文」と言ったので、

「そうか。そうなら、この太かとを、もらって行く」と、

言って、勘右衛門は看板を持って逃げて行きました。

店の人は、

「そりゃ、看板ですよ」と言って追いかけて来ましたが、

勘右衛門は逃げて隠れることが出来ました。

走って逃げたから勘右衛門は、さらに腹が空きました。

我慢して先に行っていると、

多くの人が材木を運んでいる所に出くわしました。

そして、勘右衛門は、

「材木は重いでしょうね」と言うと、

「重いけれども、山の上まで持って行かんならん」と、言われたから、

「それやったら、私が良かことがある。

ここに持っている梅ヶ枝は天満宮様から授かって来た。

これにお祈りすると、それがどうしたら軽くなるか、すぐわかる。

ここに今すぐ、水と木の枝でも持って来なさい。それと、お弁当をあげなさい」と、

勘右衛門は言いました。

そして、材木屋の人々はお祈りをしました。

しばらく、お祈りをしてから、

「あぁ、わかった。それは、グルグル回る家を引く機械ですると軽くなる。

家を引く機械を借りて来なさい」と、勘右衛門が言うと、

「うん。こりゃ、良いことだ」と、その人々は言いました。

それで、勘右衛門は、

「こりゃ、神様にあげたとは、お下がりだから私が頂く」と言って、

弁当を食べることが出来ました。

それで、ようやく勘右衛門は満腹になったと言うことです。

(出典 佐賀の民話1集 P241)

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