吉野ヶ里町曽根 古賀フユさん(明38生)
あの、鷲が櫻(さら)っていたて、
何(ない)の木こっちやい知らんばってん、
太か木のあっ所(とこれ)ぇ巣作っとったもようたんたあ。
そうしてその、鷲が持っていたて
「そげぇで養(おう)しよったもようたんたあ」
そうしたらその、そこの御院主さんじゃい
誰(だい)じゃい目ぇかかって、
「ありやあ、あがん所(とこれ)ぇ人間の
おったけんが、見ゆっかあ」ち言( ゅ) うて、
見ないよったところ、赤子じゃいもんじゃい、
わが家(え)でその人が養うしなったて。
そうして、養して太らきゃあて、そや、
坊さんにないなった。
そうしてからなた、坊さんになってその、
その生んだお母(か)さんがまた、
お寺っさい来て、お御堂さい来て
詣(みや)あなったとこれぇ、
坊さんになってその息子が、
お説教しよったもようたんたあ。
「ありやあ、こりやあ、俺(おい)が、
鷲から掴まれられて」て、言いなんもんじゃい。
そいば、お母さんが聞きよって、
「ほんに、わが子か」ち言うて、
抱きつきなったちゅうてね。
[大成 一四八 鷲の育て児]
(出典 未発刊)