神埼郡吉野ヶ里町田手宿 城島サダさん(明31生)

 あすこは東妙寺の別れでしょうが。

ありゃ、元の国から攻めた時の祈祷の寺でしょうが。

夏来たけんね、元の国から我が国に攻めたぎ

敵は十四万来(き)とっでしょうが。

亀山天皇さんな博多湾で祈んさったでしょうが。

それが、大日如来さんて崇(あが)めます。

そいぎぃ、そいがくさんたあ、[それがですねえ]

その時建った寺じゃっけん、七一〇年の十一月の末にあった。

そいぎくさんた、燃(も)やあて、そいから何(なん)でん悪かことは

全部(すっぱい)、燃やあてなたあ。

そしてあの、ちょっとあと流しんしゃった。

そいぎぃ、そこ通って来ました。

そいぎくさんたあ、今、東修さんねえ、あぎゃな[あんな]とば、

セメントてん作いよんさろうが。

あのお寺にね、お観音さんがおいござった。

そのお観音さんが、吉野ヶ里祀(まつ)っちあっ。

尼さんやった。

そいぎぃ、佐賀戦争でやられたもんじゃい、

あれが吉野ヶ里来とんさっ、お観音さんが。

そいぎぃ、元の国から、

あぎゃんとが林ん中(なき)ゃあ、ずーっと崇めてあっよ。

そいけん私(あたい)どんがあっけえ[あそこに]行た寺やあ、

ずーっとくさんたあ、

ほんに昔の由来(ゆわれ)たいなたあ。

〔文化叙事伝説 (神)〕

(出典 吉野ヶ里の民話 P206)

標準語版 TOPへ