神埼郡吉野ヶ里町上中杖 堤 ウタさん(明44生)
石動丸のお母さんと、お父さんの苅萱道心(かるかやどうしん)ですかね。
ありゃあ、九州の大分県でしょうね。
あすこで一緒になんさったけども、その石動丸という子供だけ腹に残して、
あの人は坊さんで、昔や妻帯されんじゃったでしょうが。
そいで、高野山に登んさったでしょうが。
そして、高野山に登んさったて。
石動丸が大きゅうなって、そして、お父さんを慕うてですねえ、
あの、高野山に行ったところが、高野山が女人禁制の山だったから、
登られんもんじゃい、山の下の裾の方にお母さんば置いて、
そして登ったらしいですもんね。そして、
「お母さんば連れて来とっ」て、言うたところが、その、
「お母さんの登られんけん、私一人(ひとい)来た」ち言(ゆ)うて、
他の坊さんに、
「お前(みゃ)あ、どうしてここに来とっか」ち言うたら、
「ぎゃんして、苅萱道心ていうお坊さんが、私の親であっけんが、
お母さんと二人会いに来たけれども、
女人禁制で会われんけん、私一人登って来た」て、言うたらしいですもんね。
そいぎぃ、お母さんはそのまま犠牲になったでしょ、
あん時は。
亡くなってしもうた。
そいで、そいから一緒に、お父さんと子供と、
あの、高野山に登って業をしながら、
そのうち、苅萱堂(かるかやどう)で修行しよって、
そして後は、長野県のですね、善光寺さんの北にですね、
小高い所にお寺がありますもんね、
そこで親子一緒に生涯を送ったち。
〔文化叙事伝説 (英雄)〕
(出典 新佐賀市の民話)