神埼郡吉野ヶ里町箱川字下藤 重松新作さん(明36生)
神功皇后は、あのね、
あつこの志賀島のお宮に参(まえ)らして。そしてあつこに、
その、何(なん)か、海の海賊ち言(ゆ)うか。
海賊ば、その、神功皇后に惚れてさい。
そして、その男が、その、の中の海賊たいね。
そいもんだから、あいが惚れてさい、俺と一緒に晩に化けてきたが、
「俺と一緒になってくれんか」ち、もう泣いて泣いて、
神功皇后に言ったち言う。
それをその、船が、見よったがほんなもんで、何にあんた方、
言葉もなっちょらん[なってない]ごたっふうで、
袖振ったて、その海岸で振ったと。
そいで、上ってきたところが貝殻(きゃあがら)が、
くう[多く]付いてもう、面(つら)でん何(なん)でん貝殻のくうしとったと。
そいが、そんならば、あの、化けて来とったやろう。
ほんなもんなそぎゃんしとっ[そんなにしてる] 。
「あんたが帰るまで、またここに、俺(おい)どんが
朝鮮から帰っ時や、ここで降りらんばばい」と。
「そして、私や待っとっ」と。
「あんたが、私の言うことを聞かねば、私や海の神さんに頼んで、
あんたを祈り殺すぞ」と言う脅しを。
そいぎんと[そうしたら]神功皇居は、あいが、
応神天皇ち言(ゆ)うですか、あの人のお母さんになっじゃろう。
そいぎぃ、その、そいじゃ待っとったやろう、ねぇ。
そいぎぃ、帰って来らしたが、
「怖(え)すか、怖すか」で皇后は泣いて。
そういう伝説もあったばってん。
神功皇居が朝鮮征伐行かす時や、今の高良山ね、
高良山を第いち番に参いらんばいかんち言うことで、高良山に参って。
そいから志賀島にもむろん参っじゃん。
そういうふうな神さんに参って、お願いをしながら朝鮮征伐に行かしたわけ。
そいで志賀島から出とろう、
神功皇后が。
〔文化叙事伝説 (英雄)〕
(出典 新佐賀市の民話)