神埼郡吉野ヶ里町立野 福島康夫さん(大6生)

 結局、嫁くさんが来てですね。

そして、その、色の蒼(あお)うなんさっわけですねえ、来てから。

そいでもう、姑嫁さんも、主人も、お父(とっ)たんも、

「こりゃあ、病気じゃなかろうかあ」ち言(ゆ)うてですね、

心配されて、もう、その二、三日ないよかばってん、毎日のことですからねえ。

「こりゃあ、嫁さん貰(もろ)うて困ったものじゃ」と、

言うことで嫁さんを呼んでですね、聞かすわけですよ。

そうすっと、嫁さんが、

「実は、本当にもう、言いにくいことだけれども、

私(あたし)ゃ毎日一回ずつ屁(おなら)を出さにゃいかん」と。

「だけども、ここに嫁さんに来てから先にゃもう、

恥ずかしいから、そういうことはできないから我慢しとります」と。

「そいで、こんなに顔色も悪いし、気分も悪か」と、言うことで言うわけですね。

「そんなその、あんた、そぎゃん〔そのように〕屁ばふんならば、

私の家(うち)にもおけんけん〔おけないから〕」と、いうことでね、

離縁になるわけですよ。

そいで、嫁ば連れてですね、里に理由を話しに行きよるわけ。

そいで、途中でその、子供が柿か何かその、ちぎいよる〔もいでる〕わけですね。

そうしたところがもう、ちぎりきらずに。そして、お爺さんに、

「お爺さん、あの柿いっちょ〔ひとつ〕ちぎってくれんね」ち言うて、その、

子供がせがむ〔たのむ〕わけですよね。

そんところがその、聟さんもなかなか高いもんだから、取りきらんわけですよ。

そうしたら、嫁さんが、

「そしたら、私が、あがんと〔柿を取る〕しましょうか」て、

尻をはぐって、ブーッと、屁ばふったところが、

柿がボトボトボトって、落ちてきたらしかですね。

そいからもう子供が喜んでその柿を拾ったと。

そいから、今度ずーっと行きよったところが、

ある橋にさしかかったところで、米ばいっぱい積んだ舟がですね、

座礁して動きえじ〔うごけずに〕おるわけですね。

そいで、引っ張いよるけれども全然動かんと。

そいでその、嫁さんは何日でん、こらえとんもんじゃから、

さっきは柿の木でちぃっと楽になったけれどもね、

今度(こんだ)あ、ざっといかんばい〔簡単にいかない〕と思うて、

またこう、尻はぐって〔めくって〕、大きな屁を出したわけですね。

そうしたところが、舟がスーッと下りたと。

そいでその、向こうも米を満載しとって、

それが下りたもんじゃいけんからですね、

「お陰で助かった」ち言うて、

米を十俵位くいたらしか〔くれたらしい〕ですね。

「あんたには、お礼にやります」と。

そいもんじゃけん〔それだから〕、聟さんもね、もう非常に喜んで、

「こりゃ、宝嫁御(よめご)ばその、もう手放すち言うことも、

ほら、あがんとだ〔やめようと〕」と。

「こぎゃん〔こんなに〕、子供も喜んだし、

米運びよらす〔運んでる〕船頭も喜んだしね。

米は十俵も貰うたし、こりゃあもう、宝物(たからもん)ばい」

と言うことで、もう里まで行っきらずに、

また連れて帰るわけですね、嫁さんを。そして、

「お父(とっ)さん、お母(か)さん。こうして連れて帰いよったところが、

子供もこやんして〔こんなにして〕柿ば、ちぎいきらじおったけんが、

やったところが、もうすっぱい落ちてしもうて、もう子供も喜んだ」と。

「そいからその、橋通りかかったとっが、米を積んだ船も座礁して、

その行きよらんやった」と。

「そいけんその、やらせたところが、もう米十俵貰うてきたばい」て。

「とてもここ十俵てんなんてんな〔もなんて〕、

何年かかったちゃ食(く)いきらんばい」と、言うてですね。

そいからその、姑お母さんもお父さんも、

「俺どんが悪かった」と、言うて謝ってですね。

「もう、屁ふってよか」と。

「明日から一回ずつふんさい」と言うことで、

嫁さん戻り帰ったというようなお話を、ちょっと聞いとったですね。

〔大成 三七七 屁ひり嫁(cf.AT一四五〇)〕

(出典 吉野ヶ里の民話 P132)

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