神埼郡吉野ヶ里町立野 福島康夫さん(大6生)
いつも切れるもんだから、結局、
その人が着物に当て布(ぎれ)の人を立てると、
土井(どて)が切れんようになると。
結局、あの土手がその、何ですか。
成富兵庫茂安が築いたら、あの土手が
今のセメントコンクリートよりも硬いですよね。
と言うのは、結局、右の端の泥は、左にこう、
向こう担(かつ)いでですね、運んだらしいですね。
左の方は、右の方に歩いて固めて築いとっち言(ゆ)うわけですね。
そいで、結局、そういうふうにしとっても、
現在の大島(ううしま)(三養基郡みやき町)ち言いますか。
あつこに、いつも切れると。
そいで、こっちに、佐賀県の方に切れてくるもんだから、
と言うことでですね、まあ、
「人柱ば立てればいい」と、おみくじか何(なん)か出とったんでしょう。
そいで、その人が言い出して、自分がそのふせ布〔あてぎれ〕を当ててですね、
そして、そこに人柱に立てられたと。
そいで、そいをされてから
筑後川の土手が切れんようになったと、いう話です。
〔大成 本格新四六 長良の人柱〕
(出典 吉野ヶ里の民話 P119)