神埼郡吉野ヶ里町目達原 寺崎 作さん(明41生)
橋を作るわけですね。
そして、昔は橋には必ず人柱を立てよったそうですね。
橋の支柱にですね。
ところが、庄屋の金持ちたん〔さん〕がですね、
「家(うち)の娘は、もうやろうごとなか」ち言(ゆ)うわけですよ。
「よし。あすこの貧乏人の娘は、ありゃ貧乏人じゃっけん、
ふせた〔繕った〕のを着物(きもん)ば着とっけん、違(ちご)うたふうや」
て、着物ば調べたらしかですね。
ところが、その貧乏人にはふせた着物がなかったち言うわけです。
そいばってん、金持ちたんの娘にふせたとの
いっちょ〔ひとつ〕あったち言うことですね。
そいでもう、仕方なくそう言うふうに庄屋さん親分が決めたから、
わが娘を犠牲に橋の建つる犠牲になしたと。
まあ、そういうような話ば、ちょっと聞いたことのありますが。
そいけん、絶対にこう、横ざれ〔横にあて布を〕せんと。
〔大成 本格新四六 長良の人柱〕
(出典 吉野ヶ里の民話 P118)