神埼郡吉野ヶ里町曽根 古賀フユさん(明38生)
二番お母(か)さんのなた、
子供ば煮よんさつた〔煮ておられた〕てじゃろ。
そしたぎにゃあとは、近所の人が来てね、
「そや、何(ない)炊きよっかい」ち、言いなったら、
「味噌豆」ち。
「そんない、ちかっと〔少し〕食わせんかい」ち、言いなったぎぃ、
何のもう、開けてみなったぎぃ、子供じゃったて。
お父(とっ)たんはなた、何処(どこ)さいじゃい〔か〕
行たとんさったもようじゃん。
子供はお墓に埋(い)けとったて。
そこから竹の出てきたてじゃんなた。
そいで、竹ん出てきたら、竹ば掘ってみたら、子の口から生(は)えとったて。
雀が、その竹とまって、親父さんの来なったら、
父ちやん恋しやチンチロリン
継嬶(ままかか)恨めしチンチロリン
て、言(ゆ)うたて。
そうしたらその、殺(これ)ぇとっち言うことのわかった、ち言う話ば、
私どん(あたい)どん聞きよった。
〔大成 二一七 継子と笛 (AT七八〇AⅡ)、
二一九 継子の釜茹で (cf.AT七五一)〕類話
(出典 吉野ヶ里の民話 P99)