伊万里市波多津町煤尾(名前・年齢不詳)男性一名
むかしあの。
おキンちゅうとと、さんちゅうとと、あの、さんな大工で。
そいから、おキンちゅうとは機織りの名人で、
どっちが上手じゃろうかと評判になって。
そして、とにか業較べして勝ったのが
きさんなことなるごて、話が決まって。
さんの山行たち木切った、製材する、どうして家建てんならん。
御家人な渡ごうて上にて糸引いて染めて、
一反して着物(きもん)ば一枚縫わんばらん条件で、そうしたわけ。
そうして、嫌々してもう、大工の名人もいよいよして終わったけん、
煙草の俺(おい)がとばまくばいねぇと思うたところが、
ちょっとこっち見たところが、縁の天井は
まあーだしもうちょらんじゃったて、大工が。そう言う風に、
「こりゃしもうた」ち、このおキンなそん時、
着物ばにいあげ作ったそうなの。
こりゃ、嫌じゃあ、おキンと夫婦なられんちゅうごたっ風で、
もう生きちょる甲斐はなかて、
もう自殺しゅうで海さい漕いで行たちゅう。
そうして、そいが間、その、おキンは山さい行たて、
しゃくの竹切って来て、しょうけば作れち。
三月飛び込む前に、あの、すくうたげな、こいも早かったげな。
そうして、そいとげた話も聞いとります。
こりゃ、鶴田先生(父は勘右衛門)に聞いた話。
(出典 未発刊)
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