伊万里市立花町渚 松尾テイさん(大5生)

伊万里読み聞かせボランティア 田中涼子さん

あのね。

そこの江湖山(こうこんやま)の堤は、さっきも言ったように、

八谷搦、明善寺の前の川を渡って、あっちの搦の新田にかかる道なので、

水利権はあの辺の人が持っています。

むかーしむかし

江湖山には、堤の主のような河童が住んでいました。

もう本当に いたずら坊の江湖山の堤の河童は、

悪いことばかりして、どうしようもないというくらい、

評判が良くなかったそうです。
新田にかかる水がいちばんいる時に、

堤の係りの人が栓を開けに行くと、

閉めて水を流さないようにしてみたり、

もう水がいらない時は、

栓を抜いて、ドウドウドウと、水を流したりしました。

本当に悪いことばかりするので、

お百姓さん達が困っていました。

すると、とても頓智(とんち)の良い兵助さんというおじさんが、

どうにかして、ひとつ、江湖山の河童をこらしめなくてはいけないと思って、

いろいろ考えていたら、丁度、竹の子が出る頃に、

自分の弁当には、竹の子のやわらかいところを、おいしく煮付けて、

もうひとつの弁当には、青竹の硬いところを煮付けて、江湖山の堤に行きました。

茣蓙ござを敷いて、

「こぎゃん時、今日は日和も良し、

こぎゃん所ぇで弁当食うたあ、家(えのち)で食うとよいた甘かにゃあ」

と、言って、わざと堤の方に見せびらかして、

竹の子のやわらかいところを、

「甘か。甘か」と言って食べました。

そしたら、江湖山の堤の河童が出て来て、しゃくはち、

(栓のことをしゃくはちといいます)しゃくはちのいちばん上に抱きついてのぼり、

ちょこんと座って、兵助さんが食べているのを見ていました。

兵助さんは、よしよし、出て来たと思って わざとおおげさに、

「ちょっと、こがん所ぇ食うたあ甘かばい」と言いました。

「景色も良かし、ほんなこてぇ、

こがん所(とけ)ぇで食うたあ、毎日でん良かごたっ」と、言いながら、

その竹の子を、

「甘か。甘か」と、食べました。

すると、河童は、兵助さんが何度もそう言うので、

竹の子を欲しそうに見ていました。

頃あいを見て兵助さんが、

「我がも食わしゅうかにゃあ」と言って、

青竹の硬いとこを煮付けたのを、

「ほら」と投げてあげました。

河童は、喜んで、食べようとしましたが、

青竹なので、硬くて、どうしても食べられませんでした。

それで、どうしようかと見ていると、兵助さんは、

「甘か。甘か」と言って、輪になったとこをわざと見せながら、

「こい甘かばいにゃ。甘かろうがあ」と言いながら、食べていました。

すると、その河童も誘われて自分が貰った竹を、

食べようとするのですが、どうしても、硬くて食べられませんでした。

河童は、人間の歯は恐ろしいなあと思いました。

俺は、これを一生懸命食べようとしても、とても硬くて食べることが出来ないのに、

人間の歯は、あんなに強いものだろうかと、びっくりして、

兵助さんの顔ばっかり見ていました。

すると、と兵助さんが良いころあいをみて、

「わいの、今から堤の栓ばわやうすっぎぃ、

わいの頭の皿ば?み割ってくるっぞ」と、言って、

歯をむきだしにしました。

兵助さんが、「あむ」と、したら、河童はびっくりして、

水の中に、あわてて潜(もぐ)って逃げました。

それから、江湖山の堤の河童は、おとなしくなって、

栓を、いたずらしなくなりました。

河童仲間でもその話が広がったんでしょうね。

それから人間を襲う時は、尻から襲うようになったそうです。

はい、おしまい、めでたしめでたし、チャンチャン。

(肥前伊万里の昔話と伝説 P133)

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